引っ越して二年半の自宅にNHK職員が受信料の契約に来た話
とある月曜日、仕事から帰るとポストのなかに
「受信料の件でお尋ねしました」
と書かれた紙が入っていました。
正直「??」が浮かびました。
でもよく考えると、二年半前に引っ越したときは、テレビがなかったのでお断りしたのを思い出しました。
「二年半経ってからでも契約してなきゃまた来るんだ」となぜか感心してしまいました。
次の日も、そのまた次の日も、ポストに同じ紙が入っていました。
「平日は仕事なんです・・すみません・・・」
その週の土曜日、買い物と用を足しに日中三時間ほど街に出ました。
家に帰ってくると、ポストの中にまた同じ紙が・・・
「タイミング悪くてすみません・・・」
翌日の日曜日の19時過ぎ
「ピンポーン」
鳴ってすぐNHKの人だろうと分かりました。
「受信料の件でお尋ねしました」
そう言ってきた年配の男性の方はとても腰が低く、感じの良い方でした。
その腰の低さぶりに、毎日厄介な客を相手にしているんだろうなと感じました・・・
ことあるごとに「ありがとうございます」と言ってくれました。
いまNHKの受信料は4人に1人が払っていないようです。
確かに受信料を払うべきかどうかは賛否両論ありますが、僕は単純に「国民の大半が払っているんだから払うべきなのでは」と思います。
右にならえ精神ですw
確かに月1000円ちょっとといえど、ほとんど見ないチャンネルにお金を払うのは、気分が進むものではありません。
でも、国民の大半が払っている受信料をいい大人が「払いたくないから払わない」ってなんか違う気がしますよね・・・
まあ僕も払いたくはありませんが・・・
ま、いずれにせよ僕は契約してしまったので、今後NHKも見るようにします。
僕の将来の夢の移り変わり
誰もが一度は「将来の夢」を持ったことがあると思う。
小さいときは、なれるわけがない夢を持ったりするもんだ。
僕も小さいときはたくさんの夢を持っていた。
でも悲しいことに大人になればなるほど、現実性のある夢とない夢の分別がついてきて、夢の選択肢がどんどん狭ばっていく。
ここで僕の小さい頃から現在までの「夢」を振り返っていこうと思う。
幼稚園児時代
幼稚園児時代の将来の夢は「消防士」だった。
他のこどもが仮面ライダーだとか、ウルトラマンだとか言ってるときに、将来の夢が消防士なんて、かなり現実的だw
あの真っ赤な消防車と、シルバーの防護服に憧れていた。
特に消防車には強い憧れを持っていたらしく、途中から将来の夢が「消防車」になったのはここだけの秘密である。
小学校時代
小学校時代は「プロ野球選手」だった。
5歳のころから野球ボールとグローブを持ち始め、小4になってからは迷わず野球部に入部した。
僕は小1から小6までクラスの中で一番背が低く、いつもひとりだけみんなとは違う「前ならえ」をしていた。
みんな肘を垂直に前に伸ばして、指先をピンとさせてるなか、僕はひとり「えっへん」のような前ならえをしていた。
いま思うとそのまえならえを少し誇らしく感じていたw
それはさておき、うちの小学校の野球部はそこそこ強く、特に僕らの代の野球部は特に強かった。
学校史上初の「県大会準優勝」をした。
その成績は未だに破られておらず、その時の県大会決勝で11対1で大敗したスコアボードをバックに撮った集合写真が、いまも小学校のロビーのガラス張りのケースのなかにトロフィーと一緒に飾られている。
11対1で大敗しても、保護者のみなさんは口をそろえて
「疲れが溜まってたんだね。だって向こうは中二日だけど、こっちは中一日だもんね」
と励ましてくれた。
だけど僕たち含め、保護者のみなさんの分かっていたはずだ。
「明らかな力不足」だったと。
中学校時代
中学校時代の僕はなぜか少しもてた。
そのせいか僕の将来の夢は「芸能人」だった。
しかも芸能人でも「俳優」限定だった。
こんな自分がなれるわけがないのに本当に恥ずかしい・・・
なお、この夢は誰にも打ち明けたことがないので、僕以外知る人はいない。
なんせ「俳優」になりたいなんて恥ずかしくて言えなかった。
いま考えると「恥ずかしくて言えない」ってことは自分から俳優になるのは無理っていっているようなものだが・・・
高校時代
高校時代が一番人生について考えるのではないだろうか。
そのせいか僕の夢はこれといってなかった。
だから、自衛官になった。
とりあえず安定しているし、給料も良いし、バカでもなれる。
あと親のすすめもあった。
この時期にもっとよく今後の人生について考えておくべきだったと後悔している。
現在
自衛官を退職したいま、将来の夢はファッションデザイナーだ。
服は小さい頃から好きだった。
なんせ親が服好きだったから。
親のせいで自衛官になって、親のせいでファッションデザイナーになろうとしている。
僕の人生から親をはずすことはできなさそうだw
でもいままでのなかで一番夢に近づいている気がする。
小学校の時もプロ野球選手になりたいとは言っていたものの、心のどこかでなるのは不可能と分かっていた気がする。
夢が叶うも叶わないも、諦める諦めないかだと思う。
僕は諦めない。
人生を振り返り、人生を考える
現在の僕の状況について軽く書いておきます。
いま僕は25歳で、12月がくれば26歳になる。
19歳で自衛官になって、やりがいはあったけど、どこか「金のため」に働いているような気がして、漠然と「好きなことで働きたい」って思っていた。
毎朝仕事に行くのが憂鬱で、でもどうせ働くなら「仕事ができるやつ」になりたいと思って必死で勉強した。
どれだけ勉強して、どれだけ仕事ができるやつになっても、同期との給料の差なんてほんの少し。
むしろ最初の数年なんて、まったく一緒。
こんなんじゃ「頑張らなかった者勝ちじゃん」っていつも思ってた。
でも「頑張らない」なんてことは僕にはできなかった。
小さい頃から負けず嫌いで、悔し涙なんて何回流したか分からない。
全力でやらないと気がすまなかった。
必死で勉強して、必死で体を鍛えた。
その結果学校は主席で卒業できたし、おかげさまで周りからの評価も高かった。
昇任も最短でできた。
正直、自分でも「出世コース」に乗れたと思った。
でも、ある日僕の人生ががらっと変わった。
警察のお世話になった。
なにもしていない、なにもやってない、それなのに警察は信じてくれない。
何日か勾留された。
やっとの思いで職場に復帰した。
でもそこには僕の居場所はなかった。
いつも優しくしてくれた上司、同期がまったく顔を合わせてくれない。
なにもやってないのに、世間の評価だけでこうにも態度が変わってしまうのかと・・・
もう退職するしかなかった。
常に誰かから見られているような視線を感じるようになった。
そしてなにより「警察にお世話になったやつ」というレッテルを定年まではられるのが耐えられなかった。
親に猛反対を受けながらも退職した。
もう自衛官として普通の精神状態で働くのは無理だった。
周りから「逃げたのか」とか「弱虫」とかいろいろ言われた。
確かに僕は逃げた。
でも逃げるしか助かる方法がないときは、逃げていいと思う。
いまは昔のような精神論が通用する時代じゃない。
晴れて退職して、上京した。
僕のことを知っている人がなるべく少ないところに行きたかった。
周りの目を気にせず生活したかった。
自衛隊を退職して、人生ががらっと変わった。
でもここまで見て、自衛隊やめるなんてもったいないと思う人も多いと思う。
確かに、自衛隊なんて絶対なくなることなんてないし、給料も高い。
でも金なんて稼ぐ方法はいくらでもあるし、給料が安定してて良いことってなに?
いまは大企業もばんばん潰れて、いつかはAIに仕事が奪われる時代が来る。
そんな時代に安定なんて必要ない。
僕は警察にお世話になって自衛官を退職したことを、人生のターニングポイントだとおもっている。
ここから良くも悪くも、どんな人生にするのかは僕の頑張り次第。
「努力をすればなんだって手に入る」という言葉がある。
僕の武器は諦めの悪さ。
いい人生にしてみせる。