僕の将来の夢の移り変わり
誰もが一度は「将来の夢」を持ったことがあると思う。
小さいときは、なれるわけがない夢を持ったりするもんだ。
僕も小さいときはたくさんの夢を持っていた。
でも悲しいことに大人になればなるほど、現実性のある夢とない夢の分別がついてきて、夢の選択肢がどんどん狭ばっていく。
ここで僕の小さい頃から現在までの「夢」を振り返っていこうと思う。
幼稚園児時代
幼稚園児時代の将来の夢は「消防士」だった。
他のこどもが仮面ライダーだとか、ウルトラマンだとか言ってるときに、将来の夢が消防士なんて、かなり現実的だw
あの真っ赤な消防車と、シルバーの防護服に憧れていた。
特に消防車には強い憧れを持っていたらしく、途中から将来の夢が「消防車」になったのはここだけの秘密である。
小学校時代
小学校時代は「プロ野球選手」だった。
5歳のころから野球ボールとグローブを持ち始め、小4になってからは迷わず野球部に入部した。
僕は小1から小6までクラスの中で一番背が低く、いつもひとりだけみんなとは違う「前ならえ」をしていた。
みんな肘を垂直に前に伸ばして、指先をピンとさせてるなか、僕はひとり「えっへん」のような前ならえをしていた。
いま思うとそのまえならえを少し誇らしく感じていたw
それはさておき、うちの小学校の野球部はそこそこ強く、特に僕らの代の野球部は特に強かった。
学校史上初の「県大会準優勝」をした。
その成績は未だに破られておらず、その時の県大会決勝で11対1で大敗したスコアボードをバックに撮った集合写真が、いまも小学校のロビーのガラス張りのケースのなかにトロフィーと一緒に飾られている。
11対1で大敗しても、保護者のみなさんは口をそろえて
「疲れが溜まってたんだね。だって向こうは中二日だけど、こっちは中一日だもんね」
と励ましてくれた。
だけど僕たち含め、保護者のみなさんの分かっていたはずだ。
「明らかな力不足」だったと。
中学校時代
中学校時代の僕はなぜか少しもてた。
そのせいか僕の将来の夢は「芸能人」だった。
しかも芸能人でも「俳優」限定だった。
こんな自分がなれるわけがないのに本当に恥ずかしい・・・
なお、この夢は誰にも打ち明けたことがないので、僕以外知る人はいない。
なんせ「俳優」になりたいなんて恥ずかしくて言えなかった。
いま考えると「恥ずかしくて言えない」ってことは自分から俳優になるのは無理っていっているようなものだが・・・
高校時代
高校時代が一番人生について考えるのではないだろうか。
そのせいか僕の夢はこれといってなかった。
だから、自衛官になった。
とりあえず安定しているし、給料も良いし、バカでもなれる。
あと親のすすめもあった。
この時期にもっとよく今後の人生について考えておくべきだったと後悔している。
現在
自衛官を退職したいま、将来の夢はファッションデザイナーだ。
服は小さい頃から好きだった。
なんせ親が服好きだったから。
親のせいで自衛官になって、親のせいでファッションデザイナーになろうとしている。
僕の人生から親をはずすことはできなさそうだw
でもいままでのなかで一番夢に近づいている気がする。
小学校の時もプロ野球選手になりたいとは言っていたものの、心のどこかでなるのは不可能と分かっていた気がする。
夢が叶うも叶わないも、諦める諦めないかだと思う。
僕は諦めない。